1959年のC100入手

このはなしは、2001年の4月14日にいただいた一通のEメールからはじまりました。

「ウチに旧いスーパーカブがあります。父が若いころ、ホンダから新しいバイクが出るので、予約して購入したものです。あなたのホームページを見て、初期型という事が分かりました。 

父は高齢になり免許を更新しなかったので、ウチには乗る人がいません。バイクは室内保管で、今でも走れる状態です。金額が折り合えばお譲りしたいとおもいます」 

・・・予約して購入。私のホームページを見てC100の中でも初期型だと確認している・・・と来たから気が気ではありません。

「もしかしたら幻の1958年製かもしれない。1958年製で現存が確認されているのは、わずかな台数でしかない。もし1958年製だったら、自分の持っているすべてのカブと交換しても良いくらいの価値が・・・」

わたしは平静を装いつつ(苦笑)、ぜひとも拝見させていただきたい旨の返事を送りました。

その後、何回かのやりとりで、初期型特有のメインスタンドを掛ける時のための、ハンドグリップが付いている事や、三重県松阪市の方という事がわかり、4月30日にはデジカメで撮った写真を送ってもらいました。

写真にはこちらのリクエストで、シリンダーヘッド部分のアップや車体番号も写してもらいましたので、車体番号から1959年製であることと、荷台、マフラー、シートが後の部品に交換されている事が分かりましたが、車体色がどう見ても緑色に見えるのが疑問でした。1959年当時は青だけで、緑色の車体は発売されていなかったはずなのです。

1958年製でなく、いくつかの部品がオリジナルではなかったですし、車体の色には若干の疑問がありましたが、いずれにせよ私がこれまで入手した事の無い、初期型のカブであることには違いありません。

東京から松阪まで、すぐにでも飛んで行きたい気持ちでしたが、先方の都合もあり、翌月の5日に先方に伺う事が決まりました。はじめてもらったEメールから、写真を送ってもらうまでの、約2週間も長かったですが、先方に伺う事が決まってから、実際に伺うまでの5日間は、自分にとって最も長い5日間だったかもしれません。

当日は松阪に向けて、東京の自宅を朝5時に出発。置き場所の確保のため、自宅に置いてあったカブを御殿場の実家に移し、その足で東名、東名阪、伊勢道を経て9時間後の午後2時に、待ち合わせ場所の松阪駅前に到着。

駅に着いたら息子さんに電話をする事になっていたのですが、私は何とした事か連絡先のメモを忘れ、住所から名前まで分からない羽目になってしまいました。

頼みは当初決めた待ち合わせ時間の3時に、息子さんから電話が掛かってくる事を期待するだけ。もし電話が来なければそのまま帰るしかありません。この日まで期待で一杯の5日間をすごし、最後は不安で仕方の無い時間をすごす事になりました。

しかし1時間後、息子さんから電話をいただく事ができて安堵。早速迎えにきていただきお宅に向かいました。所有者のご主人様は松阪駅から程近い場所で、写真館を営む御歳70の方。

おうかがいすると店先にカブを出して出迎えていてくれました。このあたりは城下町の面影を色濃く残す町並みで、お店も旧い建物ですが、良く手入れされていて、昭和34年製のカブはこの雰囲気にとても合っています。

挨拶もそこそこに早速カブを拝見させていただきます。事前に写真を送ってもらい、穴の空くほど見ていましたので、大体の様子は分かっていましたが、実車の存在感は素晴らしいもの。ワンオーナーで大切に使われ続け、各部が磨耗や経年変化しているため、レストアした車にはない時の流れを感じさせます。私はその佇まいにすっかり魅了されてしまいました。


1959年C100@松坂

エンジンも簡単に掛かり、最近まで現役だった事が分かります。写真でオリジナルではない様に見えたシートは、破れたのでカバーを掛けていたものでした。カバー外すと現在とは異なる素朴な書体のHONDAの文字が現れました。

シートを上げてガソリンタンクを見ると「ガソリンだけ入れてください。混合はだめです」という注意書きが貼られています。当時の小型のオートバイはほとんどが2ストロークエンジンで、ガソリンとオイルを混ぜた混合ガソリンが使われていたため、この様な注意書きとなったのでしょう。

気になっていた車体色は、青いオリジナルの色が退色したものでした。ためしに左側のサイドカバーを外させていただくと、日焼けしていないオリジナルの青い車体色と共に、一度も使ったことが無いという、車載工具もきれいな状態で姿をあらわしました。

メーターは970キロを示していますが、これまでに2周くらいしているのとの事ですので、走行距離は2万1千キロ弱という事になります。驚いたのはタイヤです。パンクは1度だけ経験しましたが、タイヤは交換した覚えが無いそうです。見ると前後共にKOKOKU(興國?)というブランドで、さすがに限界まで磨耗してはいますが、残っている事自体が驚きです。

このカブはご主人が結婚される前年、29歳の時にホンダから新型のバイクが発売されると知り、近所でバイク店を営む同級生のところで予約をして手に入れたそうです。予約したのは、カブが発売された1958年でしたが予約が殺到。配車は都市部から順に行われたため、実際の納車は翌年の1959年になったのだそうです。

入手後は近所への用足しに使用。スピードもあまり出さず店の土間(室内)に保管してあったのでこれだけ長持ちした様です。店のガラス越しであろうと、旧いバイクが好きな人が見れば分かるらしく、これまで何度も譲ってほしいと声を掛けられましたが、使用していたので断っていたそうです。

しかし、ご主人はしばらく前にご病気となり、回復はしましたが、歳も考えて今年は免許を更新しなかったそうです。カブにはもう乗らないので、引き取り手はいないかと、バイクの好きな息子さんに話していたそうです。

息子さんは知り合いのモンキーのマニアの方に、旧いカブがあると声を掛けましたが、その方は興味を示さなかったそうです。そのためインターネットで検索して、私のホームページを見つけ連絡してくれたのです。何という偶然が重なったのでしょう。そしてカブのホームページを公開していて、これほど良かったと思った事はありません。

聞くと1996年に鈴鹿サーキットで開催された、スーパーカブのミーティングに、同級生のバイク好きがこのカブを持っていったら、現役最高齢車として賞をもらったと、賞品の額に入ったカブのイラストも見せていただきました。このミーティングには私も参加しましたので、記憶には残っていませんでしたが、2度目の対面になる訳です。

オリジナルでない荷台は、結婚式場などに持って行く写真機材が増えてきたため、大きな荷台が必要となり交換したもの。また、マフラーはちょい乗りばかりだったので水が溜まりやすく、これまで穴空きのため4-5回ほど交換しているそうです。

リムのサビは隣の風呂屋が毎晩側溝に湯を捨て、その湯気が上がってきたためという話も伺いました。ハンドルの傷は飼い犬がここに前足を掛けるのが好きだったためだそうです。

こうした話が伺えるのもワンオーナーだからこそです。奥様は「この人は乗るばかりで、ちっとも掃除しなかったんですよ。雨の日に乗った後など、車体を拭くのは私かおじいさんの役目でした」という話も聞かせてもらいました。

引き取らせていただく際、お願いして当時からのナンバーも、そのまま一緒に譲っていただく事にしました。ナンバーの取り付けネジには「松」と刻まれた素朴な封印が付けられているのです。これも残したい歴史です。

そして最後に41年間の主を、カブと一緒に写真に撮らせていただき、丁重に礼を言って辞します。これだけの歴史やご主人、ご家族の話の詰まったカブは、とてもではないが、レストアして新車の状態にしようなどという気にはなれません。お話を伺いつつ私は、このカブがいちばん似合うのは決して私の所などではなく、この場所である事をしっかりと感じてもいたのです。


1959年C100とご主人

こうして素晴らしいカブを譲っていただいた事で、わたしのカブの収集癖も落ち着く事でしょう。いくつかの偶然と幸運、息子さんが取り持ってくれたご縁、そして41年間カブを大事に使ってこられたご主人と、私のわがままを許してくれた妻に感謝せずにはいられません。

2001/5/8作成 2003/12/4改訂

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1959年のC100入手” への2件のフィードバック

  1. はじめまして、このカブ見せてください、って95年頃ちょくちょく行っていた者です。祖父が近くに入院していたので見舞いついでに行ってました。お風呂の湯気の話やタイヤがココク?見たこと無いブランドでした。リンゴ箱の釘を踏んでパンクしたけどそれ以外ほとんどパンク知らずとか、6大都市から配車だったから納車を待たされたとか色々聞きました。当時は乗っておられたのであんまり欲しいと言うと失礼かなと思ってたのですが・・C65で見に行ってガラス越しに見当たらなかった時はショックでした(笑)カブもいい所に嫁いで、息子さんの慧眼ですね。
    多分ですけどワンオーナー実働として最後まで走っていた吊りカブではないでしょうか。
    イベントとかは参加されるんですか?機会があればもう一度みてみたいですね~~

    1. イトウ様、コメントありがとうございます。
      わかば写真店の土間に置かれていたカブを、イトウ様はご覧になっていたのですね。
      あのC100とわかば写真店は、街の雰囲気に本当に似合っていました。
      わたしはその風景からカブを奪ってしまったのです。
      そのわたしの責務は、このカブのヒストリーを伝え継ぐ事だと思っています。
      イベントといえば今週末はカフェカブミーティングですね。
      今回は見学ですが次回はこのカブで参加したいと思います。

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